時間とは
年が明けたばかりと思っていたのに、もう2月もあと1週間ですね。あっという間に3月になってしまいそうです。
さて、本日はそんな “時” にちなんだお話をしたいと思います。
先日、子どものころに読んだミヒャエル・エンデ著の「モモ」を久しぶりに読みました。
人々の時間を盗む“時間泥棒”と主人公モモとが対決するファンタジー小説です。
この物語には、時間を盗まれてイライラしている大人たちがたくさん登場します。
その大人たちは、スピード化、効率化が叫ばれ、時間に追われる現代社会に生きる私たちそのものではないかと感じさせられます。
現代社会では、街にはファストフード店があふれており、食事は、人と話をしながら楽しむものではなくお腹を満たすものと割り切って、詰め込んでいたり、電話では簡潔に要点のみを伝え、移動も一分一秒でもはやく…という方も多いのではないでしょうか。
一概に「時間を節約して生きる」ことが「悪」で、「のんびり生きる」ことが「善」とは言い切れませんが、本当の豊かさ、幸せとは何か、そもそも無駄なことは何なのか、何のために効率を求めるのかを考えさせられました。
忙しいという字は、心を亡くすと書きます。
江戸時代では、「心こそが人間として最も大事な宝ととらえ、忙しさは「心」を「亡」くすこと、心をなくしたら人間ではないただのでくの坊になってしまう」と考えられていたようです。
確かに、忙しいと、やらなければいけないことに追われて、心に余裕がなくなっていきます。
そして、心に余裕がなくなると、小説の中の大人たちのように些細なことにイライラするようになっていきます。電車がたった5分遅れたと言って怒り、相手の持っていた物がちょっと当たっただけで怒る…こうしてイライラがどんどんたまっていくのです。
確かに、時間に限りはありますし、現代社会に生きる私たちは、やることに追われてしまうのも仕方ないのかもしれません。
しかし、小説に出てくる“時間の国”の住人、マイスター・ホラは、
「人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないも同じ」と言います。
時間を節約して、人と話す時間も惜しみ、味わいもせずに10分で食事をしたとしたら、その10分はないも等しい時間です。
一方、友人たちと1時間以上かけて、話をしながら楽しく食事をしたとします。一見、無駄に思えるかもしれませんが、記憶に残る時間を過ごせたと言えるのではないでしょうか。
こうした時間が心の余裕を生み出してくれるのではないかと思います。
やることに追われている毎日の中でも、記憶に残る時間、有意義と思える時間をつくっていけるといいのではないかと思いました^^
―引用文献―
モモ ミヒャエル・エンデ(著) 大島 かおり (翻訳) 岩波書店
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